イタリアンレストラン「アルケッチァーノ」を石坂代表が訪問。
奥田政行シェフと対談しました。

庄内地方の食材を活かし、里山の食文化を日本へ、
世界へ発信し続けるシェフ・奥田政行さんのお店「アルケッチァーノ」を訪ねました

生まれ故郷でもある庄内地方の食材にこだわり、生産者の顔が見えるメニューを提供し続けるイタリアンのシェフ、奥田政行氏。イタリアンという手法で庄内の食材に新しい光をあてるとともに、「食の都・庄内」親善大使としての活動を通して地元食材の販路拡大にも取り組まれてきました。今回、山形県鶴岡市にある奥田シェフのお店「アルケッチァーノ」を訪問し、地元食材への思い、料理人として大切にしていることなど、これからの石坂産業にも必要な様々なお話をお聞きしてきました。

▲ 庄内のお店をお訪ねして。アルケッチァーノ・奥田さん(左)と石坂代表

石坂 今回は、地元庄内を「食の都」に押し上げた奥田政行シェフにお会いしに来ました。まずは、庄内地方の豊かな食材を活かすことや地元の生産者の方々とつながることにこだわられている理由から、お聞かせいただけますか。

奥田シェフ(以降 敬称略) 最初に答えを言ってしまいます。植物を勉強するとわかるのですが、植物の中でも野山で人間が食べれるもの、または人間が食べれるものを取り、栽培して食べれるようにすると植物から野菜に変わるんですよ。野の菜と書きますからね。人間界に来なかったのは、野草。地球はいろいろな分子が集まって一つの世界になっているので、庄内も世界のひとつの粒子なので世界を勉強する中でマネをするのではなく、世界の中で何がオンリーワンなのかということをつきつめて勉強しています。プロの料理人は美味しいものが第一、と考えると地産地消にこだわらず他の所からおいしいものを持ってくれば済むのですが、私の場合は、庄内で生産者と一緒に野菜を美味しくして庄内を豊かにする、という活動を31歳から行ってきました。

石坂 どうやって勉強されてきたのですか?アルケッチァーノのお店に、たくさんの生産者の方や作物の写真がありましたよね。あれが原点のようなものなのでしょうか?

奥田 たとえばアスパラの生産農家だと、生産者はアスパラのことは本に書いてある10倍以上の知識を持っています。ですから、生産者と一つ一つの野菜について話をしながら覚えていきました。どんどん深く知っていく段階で、原産地とかいろいろ勉強していくと、庄内の中ではここがアスパラのおいしいところ、ここがトマトの美味しいところ、ということが全部わかってくるのです。当時、中島みゆきの「地上の星」という曲が流行っていて、歌詞にあるように「草原のペガサス」とか「風の中のスバル」とか、そういう神話を探しに行く感覚で探っていくと「いるわいるわ」。いっぱい生産者の方々が現れニョキニョキとでてきて友だちになっていったんです(笑)。探しに行くときは必ず頭の中で庄内全体の鳥瞰図を描いて上からの図を想像すると「この場所はトマトに合っているだろう」とアタリがつきます。そしてそこに行くとちゃんとトマト農家がいるんですよ。まさに、あの歌を車で聞きながら探しに行っていた時代がありました。

石坂 すごいですね。星座を探すように農家さんとコンタクトをとる。先ほど、農家の方にもお会いしたのですが、お話がまさに目から鱗でした。自然と対話をしながら農業をしている庄内の人は、無理をしないというか、自然から逸脱しないというか、それが人として生きるってことなんだ、と思いましたね。

奥田 人間も自然の中の地球の一部ですから。ただ人間が唯一自然の生態系から切り離された生きもの。トイレは水洗で、死んだら火葬で…。食べているものはF1の種で、と。唯一地球から離された地球上の生き物になってしまっている。僕がやっていることは、自然界のことを読み解きして料理として翻訳してお出ししています。その内容で出版した本が「地方再生のレシピ」で、この本はアマゾンで1位を取り発売日に売り切れました。

「食べもの時鑑」は世界の料理本の「食の遺産部門で」グランプリを取っちゃったんです(笑)。自然の中でどうやって人間が生きていくか、地球に迷惑をかけずに人間界で必要とされる人になる、というところに人類は向かっていくでしょうね。

石坂 農家さんたちとお会いして本当にそう感じました。

奥田 庄内の人は東京と価値観が違います。東京はお金がかかるところですので、どうしてもお金を持っている人が幸せだ、という価値観になります。逆に庄内は、収入額は少ないのですが庄内の中の鶴岡は江戸時代徳川四天王のひとり、酒井殿様のお城があったところ。殿様は幕府に目をつけられないよう質素に生きていました。だから殿様よりも裕福な生活をしてはいけないという空気がありますので価値観が違います。幸福論もお金じゃなく、あるものを物々交換する、“おすそわけの文化”が根付いています。そう意味で本当に豊かです。水田文化でもあり雪国に鶴岡は一人では生きていけません。冬に車が路肩に落ちたら友人に電話して車を上げてもらったり、生産者の田植えに手伝いにいったりします。「必要なものを、必要な時に、必要なだけもらえる」ことが基本にあるので、あまりお金に固執しません。あとは、人とのつながりが強く、困ったときに必ず助けにきてくれる、タイヤが外れたらタイヤをつけてくれる人とか、雨漏りしたら雨漏りを直してくれる人とか、必要な時に必要な人や物が手の届くところにいつでもあるし、いつでもいる。そういう人が自分の中にどれくらいいるかっていうことが実は本当の豊かさなのです。これが都会ではお金が発生するのでお金の価値が高くなる。だから、都会の豊かさはどうしてもお金になってしまうし情報にもお金がつく。

石坂 そうなると、シェフの道を通して、今度は恩返しをするということでしょうか?奥田さんの活動そのものが、庄内の自然から学んだことや、農家さんたちから学んだことを、料理を通して恩返しするための行動だったわけですよね。

奥田 そうですね。まさに、恩返しということで、気持ちと体を張ってやっています…。自分の身体は自分のためにあるとは思っていないところがあります。実家がドライブインをやっていたのですが、借金で全部なくなってしまったんです。その時助けてくれたのが庄内地域の鶴岡の人々でした。鶴の恩返しみたいに、この鶴岡に恩返ししたいと思っています。僕が店を開いた時、大変だろうからと半年間タダで食材をいっぱいくれたんです。ある程度店が大丈夫になった頃にお礼に行くと「そんなものはいらん!」と怒られました。一喝されて、この大地に、どう自分が恩返しするのかを考えたときに「生産者の方が安心して美味しい農作物を作れて、後継ぎができる環境をつくる。」ということで生活を豊かにしようと思ったのです。

山形県鶴岡市は、幕末まで幕府側で最後の最後まで残された藩でしたので新しい日本から蓋をされたところなんです。新幹線を見ると、ここだけ取り残されていますよね。実は江戸時代の長者番付1位がここにいて、徳川四天王がいて、信仰の山、出羽三山があったので人口が多いところでした。そんな恵まれていたところが蓋をされたので、自分の身体を使ってなんとかして140年の歴史の扉を開こうと思って。この土地の人たちをメジャーにしようと思って、「地上の星」を探しに行き、その人たちの収入を水準まで上げ、恵まれない庄内地域の農作物の価値をあげたいと活動し、今では実際にそうなったネギもありますし庄内野菜というブランドもできました。羊肉の値段は倍額になりました。私だけの力ではありませんが、県民所得は山形県は40位から今は32位まであがりました。私が全国にプロデュースの店をたくさん手がけているのは、その人たちの農作物の販路を広げて、大卒の初任給よりもお金が得られるようにしたかったわけです。そうなることで後継者をつくることができる。まさに恩返しだった。それも、まんが日本昔話に出てくるようなことをしました。

石坂 奥田さんのツルの一声じゃないけれど、山形県の海側の庄内地方は「おいしい」という言葉が、キーワードになっているじゃないですか。どうしてそれに決まったのですか?

奥田 山形県では、2002年に無登録農薬問題が起こり、全国のトップニュースに常に取り上げられました。多くの生産者が全量廃棄して自殺した方も出ました。毎日、全国ニュースに流れて、山形県のものが売れなくなっていきました。その時、庄内を「食の都」にして、「食の都」がある山形として、“おいしい山形県”にしていこうと思いました。庄内弁というのは、「おいこう思わんけどやぁ、おめどう思うなや」(私はこう思うのだけどあなたはどう考えますか?)「おいは違うど思わんけどやぁ、おめこそどう思うなや」(私は違うと思いますが、あなたは本当はどう思っているんですか?)となり、そのあとにおとがめがあると「だから言ったっけっちゃや」(だからあの時言ったじゃないか!)と責任をなすりつける言葉なんです。「僕が食の都庄内に命懸けでしますんで、皆さん僕の夢につきあってください」と覚悟して責任をもつ話を生産者に話したら「よくぞ言った!」と、みんなが力を貸してくれた。そうして食の都とよばれるようになり、スローフードの全国大会や食べ物のお祭りが多くなり、鶴岡は観光客数山形4位から1位になって、庄内空港が“おいしい庄内空港”になって、気運が高まり鶴岡がユネスコ食文化都市に選ばれた。

▲ 庄内の食文化から、これから人間が向かう方向性まで話は広がっていきました

石坂 「食の未来」というテーマについては、どう思いますか?これからの日本の食のあり方や世界の食の方向性などについては、どのようにお考えになられていますか?

奥田 すべて経済先行で、お金を最初に考えてそこから農作物とかを考える。もちろん大事なのですが、これから人件費も高くなってくるから農作業をやっていても、そこをどうつじつまを合わせていくのか、ですよね。

石坂 「里山」を、自然と食など様々なものを融合させて活性化させようという点については、何かアドバイスはありますか?
いろいろな地方で困っている人がたくさんいると思うのでお聞かせください。

奥田 鶴岡市の幸福論というのは、“おすそわけの文化”です。自分のところにあるものを相手にあげて、相手に何かしてもらったら自分のところにあるものをあげる。たとえば魚がたくさん獲れたら魚をおすそわけする、そのかわりに野菜やお米がくる、そういう文化なのです。お金に縛られていない、ということなのです。こうした幸福論は各地方、各都市にあるはずです。それをちゃんと見つけてほしいですね。観光地化するとか、地方創生するという場合は、それぞれの地方の、その町の特性をきちんと勉強して、その町が持つ幸福論の中で、都会とお付き合いして目の前の人、遠くの町とお互い持ちつ持たれつ協力していければ、皆さんの町は豊かになると思うのです。

石坂 フィンランドの人と話していて、つくづく思うのですが、最終的に「人」が生きていくというのは、「幸福でありたい」という行動のことなのだと。

奥田 いろいろなパネルディスカッションに出て感じているのですが、会場から、「パネラーの皆様の豊かさとは何ですか?」という質問に、僕の横にいらっしゃった多くの成功したと言われている方々は誰ひとり答えられなかったんですよ。「あれ?みんな答えられない」って思いましたね。必要な時に必要なものがちゃんとあって、助けてくれる友達がたくさんいて、その中で自分も必要とされていて、ちゃんと人として、一人の個人として認めてもらえている。人間は集団動物ですから仲間は大事。イタリアに行くと、イタリア人は町のことを自慢するわけです。でも日本では自分の町のことを自慢する人はあまりいない。町に物語が付いていない。地方創生するときには、町に存在する物や時空からの物語をきちんと見直していくと、もともとのその町の性格と幸福論がわかります。その中で幸福になるために、お金だけじゃない本当の豊かさが何かを考えていくのがよいと思いますね。

石坂 すごく合点がいきます!本当にそうですね。そのお話は、すごく刺激になりますね。意外とみんなそのことに気づいていない。こういう質問にはロジカルに答えてほしいと思いがちだけれど、答えはもっとシンプルで、自分たちの生まれ故郷の文化やアイデンティティになるものを調べようということですよね。自らの良さに気づかないと。一生懸命まわりの真似しても意味がないですしね。

奥田 「世界、世界」と言うけれど、あなたも世界の一つだ、世界は一つ一つの粒子の集まりでできている、ということ。この町も人も野菜も世界の一つですしね。イタリア人は自分の町の歴史を全部しゃべるんですよ。日本人に聞くと、江戸と京都の歴史は知っていても、自分の町の歴史を知らない人がほとんどです。日本のフランス料理の料理人も、フランスの歴史や地理は知っているのに、日本の歴史や県を知らない。日本人は遠くを見たがるので、足元のことをあまりよく知らないですよね。

▲レストラン・アルケッチァーノ

石坂 環境の仕事をしている立場で、突き詰めて考えると、環境におけるゴミの問題も同じで、やはり教育に戻ってきますね。しっかり教育して理解してもらって。わかっていないところで議論し合っても何も始まらない。

奥田 ゴミの回収が来ない正月はゴミがたまって大変なんです。多くの人がそれを感謝しないで、当たり前だと思っている。そういったゴミの処理をしてくれる人や、トイレを掃除してくれる人がいるから自分が料理に没頭できる。僕は駅のトイレを清掃してくれる人には必ず「ありがとう」と心の中で言っていますしおじぎします。そういう人がいてくれるから、ひとつの事に集中できて文化を勉強できるし町が成り立っている。みんなそのことを忘れて、上にいこう、上にいこう、と上だと思うと見ようとしないのが日本人の悪い癖。そして最近は感謝の気持ちがうすくなってあたり前だと思っている。いろんな職業の方々がちゃんといて、自分たちが好きな事ができる時間ができて平穏無事に暮らせている、そして文化度があがっている、ということを、きちんと教えていかなければいけない。

石坂 振り返り教育というか、過去を知った上で未来を見なければいけないのに、未来ばかり見ようとするから、未来を生み出せないわけですよね。
「白馬村」という場所があるじゃないですか。若者が移住してきて、外国人も移住してきて、ここは文化を捨てるというチョイスをした。昔のことにこだわらずに、新しい文化を取り入れていこうと、変革的でユニークだなと思ったのです。
それぞれの地方の人々が、奥田さんのような考え方を持つことがすごく大切だと思うのですが、どうやったら広がっていくと思いますか?

奥田 鶴岡とは違って多くの町が「リトル東京」になろうとした時代があったことにも影響されていると感じています。私の場合は、実際に鶴岡に来ていただいたり講演活動の場で話したりして、そこで共感した若者がうちの店に北海道から沖縄まで修業しに来ているんです。そしてまた故郷に戻っていく。そのうち何組かは結婚して鶴岡に残る。若い子がいるというのは、そこの地域に未来があるっていうことですから、大切なことですよね。

石坂 それこそが社会貢献ですよね。奥田さんがされている「人を一人前にする」ということが価値観を伝授しているということじゃないですか。職人としてどうあるべきか、どのような姿勢でなければならないか、をどう伝えていきたいですか?

奥田 まずこの飲食業は、「人に尽くして尽くして尽くす仕事」であるということ。また、意外に時代の流行を作っているのも飲食業だということです。フランス料理が流行るとハーブ文化が来てワインブームが来て、フランスのブランド、シャネルが流行り、フランスのポップ調のユーミンが流行る。イタリア料理が流行ればプラダやアルマーニになり、フェラーリが強かったF1レースも中継される…。今は北欧料理がブームなので、北欧家具や花がもてはやされている。これも料理が文化に影響を与えているという例ですね。

料理人は水商売として下に見られることもあるけど人間界ではすごく大事な仕事なんだ、ということも伝えたいですね。地球上の生きとし生きるものを唯一つなげられるのは料理人だけ。君たち、そのつもりでやりなさいと、スタッフに話します。この世の中の職業は、政治家の使命、料理人の使命など、すべての仕事に使命があって、自分のやっている仕事の使命をちゃんとわからなければならない。自分の仕事の使命に気づいていないのです。宿命もあります。このことを、みんな知らないから仕事を転々と変えてしまう。自分の仕事に誇りをもっていない。だから、僕のところでは最初のうちは、お前たちの使命はこれで、宿命はこれだってことをちゃんと伝えます。自分の権利を言う前に、この仕事はこういう仕事だよ、っていうのをちゃんと教えないといけない。イチローでも誰でも一流といわれる人は素振りなどの基本をいっぱいやっている。料理もいろんな経験をした人、食材の切り出しを誰よりも多くした人やいろんな修羅場を多く経験した人が勝ちます。一握りの料理人だけが、いろんな人から必要とされて物々交換になっていく。どうせなら、そういうところを目指しなさい、と。そのためには人間力も磨かなければいけないし、包容力とかもあり人を許せる事もできて、勝負強くもならなくてはと教えています。

石坂 使命感を持たないままに、いろいろ言ってくるのは間違っているわけで。
これは全ての職業に言えることですね。最後の質問になりますが、これから奥田さんがやっていきたいことは、どのような事ですか?

奥田 自分の夢は全部終わっちゃったので、志に変わっています。地域を元気にしたり、日本を元気にするようなことに料理人はどこまで貢献できるか?というところを目指しています。今は日本の未来に種まきをしている感じです。種をまくとちゃんと不思議と花になり実になる。講演をすると、共感を得た小学校の子供が、高校卒業後に、うちの店に働きに来てくれるんです。感動します。

石坂 心がまえとか、教えることは山ほどありますものね。ただその職業が素敵だと思うだけで始めると、てんでばらばらになったりする。「何のためにこの仕事をやるのか」ということこそ、基本中の基本だと思いますね。
食を通して取り組むべき課題はまだまだたくさんありますね。貴重な情報やご意見をいただき誠にありがとうございました。

◇奥田政行氏:プロフィール

2000年、アルケッチァーノを独立開業。生産者の顔が見えるメニューを提供し続けている。2004年、山形県庄内支庁より庄内の食材を全国に広める「食の都庄内」親善大使に任命されて以来、庄内エリアは「おいしい場所」として各方面から注目を集め、今や庄内地方の食材・食文化を、日本全国、世界へと広めている。