自然豊かな
三富の里山

かつて江戸時代、
日本は世界有数の循環型社会でした。
石坂産業が事業を営む
三富(さんとめ)も、
300年以上昔から人々に親しまれ、
守られてきた里山でした。

5代将軍徳川綱吉の
側用人だった柳沢吉保が、
この地のやせた土壌を
豊かにするために、
木を植え、水を生み出し、
里山をつくったと
言い伝えられています。

植えた木はすべて落葉樹で、
落ち葉からつくられた堆肥が、
森林と農作物を育て、
そこで再び生み出された落ち葉が、
また堆肥となっていく。
そこには循環型農業が成立し、
自然と共に生きることが
あたり前の暮らしがありました。

先人が生み出した里山を守り、
継承していく活動をはじめたのは、
こんなきっかけがありました。

里山再生のきっかけ

「むかし、このあたり一面は、やまゆりの花が咲いて素敵だったのよ」あるとき農家のおばあさまが、つぶやかれた言葉です。なぜ咲かなくなってしまったのか?かつての生態系が循環していた姿を失い、手入れされていない雑木林となってしまっていたことが原因でした。そのため、うっそうとした暗い雰囲気が漂い、空き缶から家具家電まで捨てられる不法投棄の温床に。きれいにしようと掃除をしても、翌朝にはごみが散乱している。そんな負の連鎖が日常化し、地域の課題となっていました。地域の人たちが愛していた光景を復元したい。そこで、やまゆりを石坂産業のシンボルフラワーとし、やまゆりが咲き誇るかつての里山の姿を取り戻すために、雑木林を手入れする活動を始めました。

伝統文化の継承

不法投棄されたごみを拾い、落ち葉を掃き、下草を刈る。大きくなりすぎた木を切り落とし、足りない木を植える。そんな木こりのような仕事をする中で学んだのは、人々の知恵と工夫が詰まった里山の文化や、循環する暮らしのヒントでした。石坂産業の使命は、「自然と美しく生きる、つぎの暮らしをつくる」こと。そのためには、三富で語り継がれてきた、里山の自然と文化を継承すること。里山を拠点とした地産地消やエネルギーづくりなど、里山に新しい価値を生み出していくことが不可欠であることがわかりました。里山の価値を継承し、発展させながら、自然と共生する持続可能な社会づくりに取り組んでいます。