ゴミにしない技術/石坂産業/Nothing to Waste
創業の思い
創業の思い
日本の大量生産大量消費の高度成長期は、猫の手も借りたいほど多忙な時代でした。私は鳶、土木業に飛び込み、兄の仕事を手伝いながら技術力を身につけ自立を考えていました。当時は建売業者などから土木工事の際に発生する土砂や残土はともかく、現場から発生するすべての廃材をそのまま夢の島への埋め立処分を依頼されることも数知れませんでした。
私は、資源がないこの国で平然と使えるものを捨てる行為に納得がいきませんでした。将来への展望として、建築物の強度や美観、業界の良き発展を望み、環境保全の観点から選別とリサイクル業の分野での事業化を夢見ていました。
そこで昭和42年に一念発起し、土木解体、廃棄物処理業の法人を設立し、古材の選別再利用や有価物の再利用の事業に着手しました。その間に選別技術の研究開発に取組み、解体建設現場で発生する混合廃棄物をすべて再資源化する総合リサイクル業を目指しました。
七難八苦を乗越え、先進的な減量化・リサイクル技術を開発し、最先端の総合リサイクルプラント施設を建設しました。今年2014年、創業47年を迎え、日々技術開発に取組み、他社の追従を許さない不動の技術力を保持しています。
これまでの経営で一番苦労したこと
日本の最先進技術の総合リサイクルプラント施設を誇っていた1999年、テレビ報道のダイオキシン騒動に巻き込まれ、ダイオキシンや環境破壊の張本人のごとくまくし立てられてしまいました。ごみを焼却して、縮減する減量化プラントでは業界を先駆けていましたし、我が社としてはかなり思い切った投資をして、ダイオキシンを恒久対策する最新式焼却炉に前倒しで建設を終え、導入していた矢先のことでした。
にも拘わらず、マスコミ、環境団体や住民団体など長期間の反対運動に巻き込まれ、身に覚えのない誹謗や中傷の連続には、親族まで肩身の狭い思いをさせてしまいました。いまあらためて振り返ると当社はダイオキシン騒動の被害者であり、訴訟には勝ちましたが、けっして気持ち的に晴れることのない時代でありました。
これまでの経営で一番うれしかったこと
全国的なダイオキシン問題が起きた10年後、高名な国会議員が理事に名を連ねている環境団体の方に、「当時の所沢ダイオキシンとほうれん草問題は、政治利用に巻き込まれてしまいましたね」と言っていただいた瞬間、10数年間の精神的な苦痛が氷解しました。
「環境と地域が共生する」当社の地道な経営姿勢が、最近は各方面から注目を集め、支援者も増えるようになりました。このような光景は非常に嬉しいことであり、今までの様々な苦労から解放されました。
心に残っている子育てしていたころの思い出
常に仕事が頭から離れず、仕事一途の生活だったようです。新技術の構想や事業計画などを練り上げるため、事務所で明かす夜は数え切れませんでした。
子育ては、子煩悩ということもあってか、ミルクやオシメを持参して子供を連れて仕事場に出かけました。そんなことから、長女(現同社社長)からは「ダンプの臭いが一番落ち着く」などの言葉をよく耳にしています。
休日は日頃の罪滅ぼしで子ども優先に考え、自然豊かな山や川遊びに出かけました。仕事で使うショベルカーに子供を乗せ、手作り遊園地で楽しいひとときを過ごしました。3人の子どもを育てていたこの頃は大変でしたが、子供の笑顔に生きがいを感じ、明日への活力を感じていた日々でもありました。
これからの処理業に願うこと
価格競争が横行し「安かろう・悪かろう」が有利な業界では、静脈産業である産業廃棄物処理業の未来はないと考えています。業界全体がリサイクル技術の研究開発に取組み、国が唱える資源循環型社会の実現に向け、ゼロエミッションの推進力としての真価を発揮して欲しい、と切に思います。
見せかけのリサイクルやエコではなく、他の業界を牽引し、持続可能な資源を循環する仕組みに向けた環境保全の変革を期待しています。
次世代に伝えたいこと
今まで築いた独自技術を生かしたコア・ビジネス分野を続ければ、二代目三代目は何とか事業を続けられると思います。その先、未来永劫にわたって企業を継続するためには、常に時代や環境変化に迅速かつ柔軟に対応し、技術の高度化や組織変革に挑戦する気風・気概をもった組織の文化・風土を創ることが不可欠だろうと思います。
私が標榜する、「謙虚な心、前向きな姿勢、そして努力と奉仕」「企業の勝ち組は、適正かつ機敏な決断と実行力」この二つ言葉を次世代に語り伝えることが、事業継続に繋がると思っています。
石坂産業 創業者 石坂好男
2014.12.15
石坂好男